痛みは自分と向き合うきっかけになる
どうも、フィジカルフィロソフィストのヨシバです。
痛みの経過が長い人と何度か関わっていると、よく聞かれる質問があります。
「○○したのが良くなかったんでしょうか?」
「あのとき○○だったら、こうなっていなかったのかな」
この時、医療者としてというか、一個人として何を答えるべきでしょうか。
僕は大抵の場合、「それはきっときっかけに過ぎなかったんですけど、大変でしたよね」というニュアンスを伝えています。
例えば、腰のある部分が自力で動かせないことで痛みが出ているとします。
果たしてそこはいつ、どのタイミングで、動かなくなったのでしょうか。
それを答えられる人はどこにも存在しません。
「過去のトラウマが~」とか「事故の影響で~」とか、それっぽく言う代替医療者(あるいは国家資格保持者)はいるかもしれません。
でも、僕も含めて、その人はあなたの「今の身体」を見て問題を見ているんですよ。
過去はどうやっても見通せない。
今ある問題点しかわからない。
でもね、今の身体の問題点がわかれば、未来が変わる可能性があります。
痛みが続いていた過去は変えられないけど、痛みと向き合って克服する未来は選べるんです。
すぐには良くならない。治るかもわからない。
そんな長い旅路を進むことは、本人にとっても、家族にとっても、補助をする医療者にとっても苦しいものです。
そこから1つでも自分がコントロールできるようになってくると、面白いように未来は変わるんです。
僕が運動療法を勧めるのは、
「自分でも、何かをすれば、痛みを良くする(コントロールできる)」
という経験と自信を持ってもらいたいからです。
「誰か(僕の場合は理学療法士)が痛みを良くしてくれた」
もちろん、そこから何かのきっかけを掴むことはあると思います。
でもこれって、自分の人生のコントロールを他人に明け渡しているように感じるんです。
「なんとかしてください、先生!」ではなく、「ここは医療者を頼ろう!」と主体的な選択をできるようになってほしいんです。
自分の人生を選んでもらいたいなと心の底から思っています。
自分の人生は、自分で克服して、自分で選んで、自ら進んでいく。
そんな人生を送っていただけることを切に願っております。