シン・治してなんぼ

痛みに特化した治療に携わっている医療関係。非常識はびこるネット情報の一時の安らぎになれるように書いていきます。

痛いから動かさないように→それ、逆に悪くしてますよ。

どうも、フィジオフィロソフィストのヨシバです。

 

こういう方、けっこういらっしゃいます。

「痛いから、動かさないようにしている」

「動かすと痛いから、あまり使っていない」

 

これ、逆に痛みを悪くします。

動かさないように、というのは「安静および活動制限」になります。この安静および活動制限は慢性疼痛の診療ガイドラインに書いてある推奨度からすると、

 

Dランク(行わないように推奨される、もしくは悪化するリスクが高い)

 

に分類されています。

 

つまり、「痛いから動かさない」というのは、自分で自分の痛みを悪化させているんです。

動かしたほうが良いです、絶対に。逆に運動療法は、

 

Bランク(行うことが推奨される)

 

に分類されています。

運動したほうが良いということは、すでに統計的に証明されています。

 

では、最も推奨されるAランク(行うことが強く推奨される)のは何か。

認知行動療法

有酸素運動

・集学的治療(運動療法と薬物治療、心理療法、神経ブロックなどを組み合わせること)

となっています。

 

自分でもまずやれそうなのは、安静を避ける事と有酸素運動をすることです。

これだけでも痛みはかなり変わってきます。

その怒りは誰に向かっている?

どうも、フィジカルフィロソフィストのヨシバです。

 

痛みが長く続いていると怒る人、います。

何かに対して怒りを感じている。でも、その何かってなんでしょうか。

 

怒りには、おおむね2種類があって、健全な怒りとそうではない怒りがあります。

まずは、自分に対して怒っている人。

例えば、痛みが治っていかない自分であったり、仕事で他の人に迷惑をかけていることだったり、家の中での役割ができないことに怒っている人です。

怒りの本当の矛先が自分に向いている人です。

割とこのタイプの人は良くなります。良くなるし、数回のリハビリで軽快することが多いです。

 

もう1つ、医療者としてはちょっとやっかいな怒りの種類が他人や過去の出来事に怒りを向けてしまう人です。

例えば、「事故のせいで私はこんな目にあっている」「あの医者が正確な診断をしてたらこうはなっていなかった」などと怒りの対象を自分以外の何かに向けている人です。

自分を守るために、他の人に攻撃してしまっている状態です。

これの何がやっかいかと言うと、他者の協力を拒んでしまったり、他者を悪者にすることで自分を保ったりしている場合があるからです。治ることを自ら拒んでしまうようなふるまいをしてしまうことがあります。

 

怒りというのは、防衛本能なわけです。自分の領域を侵す刺激に対して攻撃的な反応をする。だから、一度その怒りが何に向かっているか、真剣に考えてみる必要があると思います。

 

例えば、僕の場合は家事をしている時によく怒っていました。

ふと気づいて考えてみると「家事をめんどくさがっている自分に対して怒っていた」んです。

面倒だけど、やらなくちゃいけない。家事を面倒くさがるなんてひどい人間だな、と自分に対して怒っていたんです。

でも、同時に「料理をすることが好きなんだ」ということにも気づきました。・

 

そうなってからは、ずいぶん怒ることが減ったんです。

あぁ、自分に対して怒っていたんだなと。

めんどうくさがりな自分も理解することで感情に変化が出てくるんですね。

ここは1つ、自分の怒りの矛先をしっかり確認しましょう。

くびれを作る呼吸

どうも、フィジカルフィロソフィストのヨシバです。

 

人間は死ぬまで呼吸します。

生まれた瞬間は肺に溜まった羊水を吐き出す、息を吐くことから始まります。

死ぬ瞬間は吸って止まると言います。

 

時々、吐けない人っているんですね。これは本当に稀なパターン。全体の5%いるかいないか程度だと思います。

「思いっきり腹の中の空気を出してください」って言っても、できない。

 

人間として、一個体として生まれて、一番最初に行う息を吐くことができない。

稀なパターンですが、たまにいます。そういう人は吸っても弱弱しい。

お腹も力なくとろけています。

 

人間は、本来吐くことからスタートする。横隔膜を下げることも大切ですが、それ以上に横隔膜を上げることをコントロールする、これがとても大切な要素です。

上がったままの横隔膜をコントロールできないから、意識が上に登ったままで大地を踏みしめることができなくなってしまう。

しっかり、吐ききる。しっかり吐こうとすることで、横隔膜だけでなく、お腹全体の筋肉が活性化してきます。

吐ききるためにはお腹の圧を高めて、肺から空気を押し出す必要があります。

その力は、肋骨を絞める力ではなく、お腹の圧を高める力なんです。

吐く練習をすること、お腹の圧を高める練習をすることはウエストを細くするために必要不可欠な練習です。

 

本当に大切な意識は

「まず、吐ききる。そして、自然に空気が入ってくるイメージを持つこと」

せっかく吐ききっても、無理に吸ってしまうととたんに変な呼吸になってしまう。

 

せっかくヨガや太極拳を健康・美容のためにやっていても、根幹となる呼吸がダメでは効果は半減、いや1/3です。

 

何度でも言いますが、

「まず、吐ききる。そして、吸わずに自然に空気が入ってくるイメージを持つこと」

ここを意識して呼吸をしてみてください。

 

*感想や実践経験がありましたら、コメントの方よろしくお願いします。

痛みは自分と向き合うきっかけになる

どうも、フィジカルフィロソフィストのヨシバです。

 

痛みの経過が長い人と何度か関わっていると、よく聞かれる質問があります。

「○○したのが良くなかったんでしょうか?」

「あのとき○○だったら、こうなっていなかったのかな」

この時、医療者としてというか、一個人として何を答えるべきでしょうか。

 

僕は大抵の場合、「それはきっときっかけに過ぎなかったんですけど、大変でしたよね」というニュアンスを伝えています。

例えば、腰のある部分が自力で動かせないことで痛みが出ているとします。

果たしてそこはいつ、どのタイミングで、動かなくなったのでしょうか。

それを答えられる人はどこにも存在しません。

 

「過去のトラウマが~」とか「事故の影響で~」とか、それっぽく言う代替医療者(あるいは国家資格保持者)はいるかもしれません。

でも、僕も含めて、その人はあなたの「今の身体」を見て問題を見ているんですよ。

過去はどうやっても見通せない。

今ある問題点しかわからない。

 

でもね、今の身体の問題点がわかれば、未来が変わる可能性があります。

痛みが続いていた過去は変えられないけど、痛みと向き合って克服する未来は選べるんです。

すぐには良くならない。治るかもわからない。

そんな長い旅路を進むことは、本人にとっても、家族にとっても、補助をする医療者にとっても苦しいものです。

 

そこから1つでも自分がコントロールできるようになってくると、面白いように未来は変わるんです。

僕が運動療法を勧めるのは、

「自分でも、何かをすれば、痛みを良くする(コントロールできる)」

という経験と自信を持ってもらいたいからです。

 

「誰か(僕の場合は理学療法士)が痛みを良くしてくれた」

もちろん、そこから何かのきっかけを掴むことはあると思います。

でもこれって、自分の人生のコントロールを他人に明け渡しているように感じるんです。

「なんとかしてください、先生!」ではなく、「ここは医療者を頼ろう!」と主体的な選択をできるようになってほしいんです。

自分の人生を選んでもらいたいなと心の底から思っています。

自分の人生は、自分で克服して、自分で選んで、自ら進んでいく。

そんな人生を送っていただけることを切に願っております。

呼吸をやめてしまった人々

どうも、フィジカルフィロソフィストのヨシバです。

 

呼吸が大切、ということは前回お話をしました。

参考:昨日の記事「日本人のDNAに刻まれた心の整え方」

 

では、真の呼吸が出来ていない人はどういう身体の状況になっているか、ということを今日はお話します。

 

本来、息を吸う時は横隔膜が収縮し、下がることで肺に空気が入ります。横隔膜が下がる動きによって、同時に腹圧が高まり「腹が据わる」状態になります。

しかし、真の呼吸を忘れてしまった人はどうなるのか。横隔膜を下げるのではなく首や肩の筋肉を使って肋骨を無理やり広げることで肺に空気を入れるのです。

肺に空気が入って胸の圧が高まると、圧に押されて横隔膜が下がります。

 

「横隔膜が下がる」という事実は同じですが、そこに至るプロセスには圧倒的な違いが生まれるのです。

真の呼吸ができない人は地力で横隔膜を下げることができない人です。それは腹圧を自由に高められないということを意味します。腰や膝に慢性的に負担をかけています。呼吸で首や肩の筋肉にも常に負担が生じています。

 

この呼吸は、実は人工呼吸器を使用しているのと同じ状態なのです。つまり、人間にとってとても不自然な呼吸の形なんです。

人工呼吸器は機械の力で無理やり肺に空気を送り込みます。それと同じことを自分で行ってしまっているのです。

無理な身体の使い方をすれば負担がかかります。

生きている間、絶対に途切れることのない呼吸という運動で常に身体を酷使してしまうのです。

 

人間は1日3万回呼吸します。呼吸が乱れていることが身体に大きな負担をかけることがわかっていただけると思います。

自身の呼吸に、少しでも目を向けていただければ幸いです。

日本人のDNAに刻まれた心の整え方

どうも、フィジカルフィロソフィストのヨシバです。

 

僕がクライアント全員にやってもらうことの1つに呼吸があります。みんな言葉では聞いたことあるし、頭ではわかっている。でも、ちゃんとしたやり方は意外と知らない。そして、思った以上に出来ない。

痛みがあって来院される方、リハビリが処方される方の95%は真の呼吸が出来ていません。

 

真の呼吸が出来るとどうなるか。

・自律神経が整い、落ち込みがちな気分が楽になる。

・腹圧がかけられるようになり、筋力がアップする

・酸素をしっかり身体に取り入れられる状態になり、疲労が軽減する

・首や肩の張り感が減る。

・膝や股関節、腰の負担が減り、痛みを感じにくくなる。

・意識して呼吸すること自体が、痛みを軽減する。

などが挙げられます。

 

これだけメリットのある真の呼吸ですが、ほとんどの方が出来てません。

「習い事でヨガ・太極拳をやってます!」と言われる方、たくさんいます。

そんな方達もうまくできないことが多いです。

ボディワーク仲間も結構できない人が多いです。

それだけ、今の日本人は真の呼吸が難しくなってます。

 

日本語には「腹(肚)を据える」という言葉があります。

この言葉には「覚悟を決める」という意味もありますが、もう1つ重要な意味として「心を落ち着ける」という意味があります。

我々の先祖は体感的に正しい呼吸をすることで、平静さが保たれることを理解していたんですね。

真の呼吸は日本人の遺伝子・DNAに深く刻まれた精神安定の手段なんです。

 

真の呼吸のコツは大きくお腹を膨らませること?いいえ、違うんです。

大切なのは臍(ヘソ)、または丹田からスタートする呼吸です。

ヘソから膨らみ、その膨らみが全身へ波及するような呼吸。

これが本当の意味での呼吸です。

 

出来るようになると面白いほどに痛みは軽快してくる方がいます。

お尻から太ももにかけてしびれていた方、「この前のリハビリの次の日から左足のしびれがスーッとなくなったんだ」と仰られました。

体感的にはお尻から太ももにかけてのしびれにダイレクトに反映される印象があります。もちろん身体を診させてもらって腹の据わり具合に問題があったから呼吸を練習するんですが。

 

人間は1日に約3万回呼吸をします。忙しい現代社会ですが、一旦歩みを止めて「呼吸」を意識してみてはいかがでしょうか。

当ブログの説明。

当ブログにお越し下さりありがとうございます。

フィジカルフィロソフィストのヨシバです。

 

簡単な自己紹介になりますが、僕は普段ペインクリニックに勤務する理学療法士(国家資格)です。

リハビリテーションを主な仕事としています。

痛みに対するリハビリというと、マッサージや整体、指圧などを思い浮かべる方が多いと思いますが、僕のリハビリは基本的に運動です。

 

運動こそが痛みを克服するためのキーワードです。

なぜなら、現代を生きる我々は圧倒的に運動不足です。デスクワーク・軽作業。ほとんどが同じ姿勢を強いられます。

一昔前の肉体労働が仕事の主流であった時代であれば、現代のような問題はおそらく出てこなかったでしょう。

特に正しい身体の使い方を見失ってしまった我々は、その機能を再構築することで痛みは軽減します。

それと同時に痛みは感情でもあります。だから、心も整える必要があるのです。

痛みを扱うこの領域に入ってから日は浅いですが、痛みに悩む方、あるいは痛みを抱える人と向き合っている方の参考になればと思い、ブログでの情報発信をしていくことにしました。

今後ともよろしくお願いいたします。